今日の読書本「直島誕生」秋元雄史

今日は、ピザトーストモーニングで読書。

「直島誕生」

うーん、のっけから面白い!

「僕は地面に杭を打ち込むように、吹けば飛ぶ芸術からどうやっても動かない聖地をつくろうとした。」

“現代アートの聖地”はなぜ、どのようにして生まれたのか? 仕掛け人が明かす圧巻のドキュメンタリー。

草間彌生『南瓜』を生んだ屋外展、古民家まるごと作品化する「家プロジェクト」、そして前代未聞の「地中美術館」。

その裏で、アートを信じて闘うひとりの男がいた。

直島という現代アートの聖地がどのように出来上がったのかというのを知るのも非常に面白いのですが、、、

もともと現代アート作家であり、アート関連の記事を書いていたライターでもあったという秋元さんの分かりやすい文章が最高です。

「尋常ではないレベルでものを見ていくと本来見えないものが見えてしまう」っていうの、本当に面白いですよね。

北斎にハマってた時その話を聞いて、「さすが北斎、雷に打たれただけある!」って思いましたが(笑)、「尋常ではないレベルでものを見る」訓練をすれば、見えるようになるみたいですね。(その訓練をし続けられるのが凄いのですが)

人間の集中力というか、ゾーンに入るっていうことなのかもしれないですけど、本当に不思議です。

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「視覚を使って物を見る」というと、なにかものすごく当たり前のことのように思われるかもしれない。でも、考えてみてほしい。多くの人が絵を見るときはきっと、その絵にどんな意味があるか、設定はなにか、どういう物語があるか、といった「ことば」によって、その絵を見ているのではないだろうか。

「視覚を使って見る」というのはそうではない。絵を訓練しているときの画学生などは、ほとんどことばを介さずに絵を見ているのだ。線や色、調子といった、徹底的に視覚的な世界に入り込んで絵を見て見る。描くときもそうだ。

面白いことに、この訓練によってそれまで見えていなかったものが見えるようになったり、捉えることができなかった色彩がわかるようになったりする。これは比喩ではない。実際にそういう「眼」になるのだ。

…これは繰り返すが、ことばで見るのと全く違っている。抽象画の良さがわからないという人がたまにいるが、線と色彩で見るということを訓練すれば、あっという間に抽象画が意味をもったものに見えるようになるだろう。

…ちなみに、描くことによる色彩の驚異という点では、いろいろな逸話が知られている。たとえば、江戸の日本画家で、写生画に長けた円山応挙という人がいる。その人が描くものは西洋的なリアリズムではないが、現実世界を十分に写し取ったものとなっている。水を描いた作品では、波立ち、流れ落ちる水の先は、ちいさな丸みをもった状態で描かれている。これだけ見ると、その水がリアリティのない作りもののように思えるのだが、高速カメラで見た波の先の形状は、応挙の描いた水と同様に丸みを持った形になっているのだ。

浮世絵師の葛飾北斎も、これとまったく同じような形で波の先を描く。また日本画のみならず、レオナルド・ダ・ヴィンチも同じように描いている。尋常ではないレベルで物を見ていくと、高速カメラででも捉えなければ見ることができないようなコンマ何秒かの世界まで、肉眼で見えるようになってしまうのだ。

本・直島誕生――過疎化する島で目撃した「現代アートの挑戦」全記録

現代アートの聖地・直島旅行に行ってきました

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